【震災から4年半】 地元職員インタビュー 「ようやく出口が見えてきた」
2015年9月11日、本日で東日本大震災から4年半が経ちました。
今回、女川町に住む方たちの”実際の声”を掲載しようと、地元スタッフへのインタビューを実施しました。
女川向学館は、被災された地元の塾の先生たちと共に、2011年7月4日に開校しました。震災前から女川で塾を経営してきた鈴木典子先生に、今の心境を聞きました。
(向学館では「のりこ先生」と、子どもたちから呼ばれています)
―― 女川向学館では、どんな仕事をされているのですか?
中学生の数学と英語を主として、小学生も教えています。
震災前は、桐ケ崎という漁業区で塾をやっていました。
中心部とは離れていて、そのエリアでは塾なんか珍しいのだけど、優秀な子が多かったんですよ。
―― 4年半が経ちましたね。子どもたちは向学館ではどんな様子ですか?
相変わらず元気だなー、というのが正直な印象です。やっぱり漁師町の子だな、と。でも一人ひとりと話すと、それぞれ悩みがあるんだと分かります。4年間で、家庭環境が変化した子も多いです。
―― のりこ先生自身も仮設住宅にお住まいです。地元住民の立場として、子どもたちが置かれている環境はどのように見えますか?
私の地区の仮設住宅は子どもが一人しかいない。
遊ぶ友だちもいないし、町中で工事しているし、子どもが自力で行ける所はないでしょう。
町の至るところで工事がしていて、建て物が建ったり道路ができたり、常に変化しています。
大人だって、”落ち着かない感じ”をずっと持っています。子どもは尚更で、常に心が落ち着かない感じを、ずっと持ちながら過ごしていると思う。
―― 女川町は町民が一体となって復興に取り組んでいます。それでも、予想以上に仮設住宅暮らしが長く続いていますよね。
震災直後の仮設住宅暮らしは、「こういうのも楽しいかもな」って、気楽に考えていた。
実際、お隣さんも増えて楽しくやっていた。2年間ぐらい経ったら新しい家を頑張って建てようと思っていた。
新しい住宅地を立てるために、山を切り崩して、大量に土を盛って土地を嵩上げします。
想定以上に、山が堅くて切り崩せなかったりして、工事は遅れました。仮設の退去の期限が延ばし延ばしになっていくのは、精神的に辛い。
ここは本当の場所ではない、と思っている状態が長く続くと、嫌になってきます。
大人はまだしも、子どもはもっとですよね。
―― そういう状態で、向学館で子どもたちと向き合い続けてくれました。のりこ先生の姿勢は、子どもたちにも届いていると思います。
ピンチはチャンスじゃないけれど、向学館みたいな場所は女川にはなかった。勉強だけではなく、町外のいろんな人たちと出会う機会をもらって、将来の可能性を広げている。
この前、泣きながら自分の話をする生徒がいて、泣いた後すっきりした顔をしていて、後日自分で問題を解決していたりする。子どもの成長が見える。
まだまだ子どもには学校と家以外の居場所が必要。
―― 4年半が経ち、いよいよ本格復興ですね。
うちは早い方ですが、あと2年ぐらいで仮設住宅を出られそうです。亡くなった人のことを思うと何とも言えない気持ちになるときもある。でも、ようやく出口が見えてきました。
夏が終わり、生徒たちも受験モードなので、これからひと踏ん張りです。