【被災地の教育現場 vol.3】 居場所
避難所そばのコンクリートに寝そべって宿題をやっている子ども。
向学館初期のホームページで紹介されていた写真だ。
2011年7月、向学館が作られた一つの理由がその写真に明確に示されている。
段ボールで仕切られた避難所以外の空間と時間の提供である。
避難所が足りず、自衛隊のテントを借りて生活している家もたくさんあって、雨が降ったため教科書がふやけてしまった生徒もいた。
下校後の子どもの居場所がないという状況をうけ、学校では5月中旬から教室を夜間開放する「まなび夜」という取り組みを始めたが、あくまで応急措置という感じだった。宿直の教員が交代で担当していた。
それに代わる感じで「向学館」はスタートした。
運営は、熟議を仕切っていた若者集団、NPOカタリバ。
主に首都圏で高校生のキャリア教育を展開しているとのこと。
下校後、どこにも行き場のなかった小中学生の居場所ができた。
宿題をやるのもよし、本を読むのもよし。
とにかく「いる所」だ。
ん、待てよ、「居場所」って何だ?
「居場所」で思い出す光景がある。
八割の家が流されたあの夜、高台の総合運動場に続々と町民が避難してきた。
玄関前の焚き火の周りに人だかりができた。寒い夜だった。
「学校から燃やせるものはみんな持ってきて」ということで、新聞紙や段ボールはもちろん、未使用のコピー用紙も燃やした。
(そのせいで、新学期にコピー用紙がほとんどなかった。)
それからしばらく町内のあちこちで、人々が焚き火を囲む風景が見られるようになった。
どんなにスペースや設備が揃っていても、求めるものがなければ、人はそこに行かないだろう。
停電が続いたということもあるが、あの炎が提供していたのは、温度計で計れる暖かさだけではなかった気がする。
《つづく》
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このブログ「被災地の教育現場」シリーズは、
元 女川中学校教員である佐藤敏郎先生が、教育現場を見てきた先生として、
コラボ・スクール女川向学館のメンバーとして、被災地の教育現場の現状を
つづる連載です。
学校現場の視点、保護者の視点、地域の視点でコラボスクールの価値と
可能性についてつぶやきます。
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