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【被災地の教育現場 vol.8】 お昼ごはんの思い出

2015.7.08

震災後しばらくの間、給食はパンと牛乳だけだった。
時々それに支援物資のゼリーやお菓子が一品つくことがあったが、成長期の中学生には到底足りなかった(成長期の大人にも)。
ズボンがブカブカになった先生は「震災ダイエットです」などと笑えないジョークにしたりしていたものだ(現在は元に戻ったらしいが)。

4月19日に石原軍団が炊き出しに来た。
〇海先生は渡哲也の登場に大喜び、生徒たちは食べ物に大喜びだった。舘ひろしや神田正輝から手渡されたカレーライスや焼きそばに生徒たちの目はキラキラ輝いた。

ところが、元気いっぱいの「いただきます」後まもなく、あちこちから「あれ?」という声。すぐに満腹になってとても食べきれなくなったことに、自分でびっくりしているのだ。「残したら申し訳ないだろう」と生徒に言いながら、私も食べきれなかった。

満足に食事ができなくなって、1ヶ月以上経ち、胃が小さくなっていたのだろう。21世紀の日本で、育ち盛りの中学生がこんな状況になるなんて…。石原軍団も涙ぐんでいた。


【写真】敏郎ブログ お昼ごはん

学校では行事などの関係で、給食を止める日がある。
23年度も、例年よりかなり遅かったが、6月後半に中総体があり、その予備日に「弁当の日」があった。例年通り、特に疑問もなくその日は設定された。

「弁当の日」の朝、多くの家庭から「後で届けます」という電話があった。避難所で自分に配給される弁当を届けるというのだ。避難所では弁当は作れない。コンビニもない。ちょっと考えれば分かるそんなことに、私は気づかなかった。生徒や保護者は、弁当の日の連絡をどんな気持ちで聞いたのかを思い、大反省したものだ。

すぐに教育委員会が対応してくださったことと、苦情を言われても仕方ないのに、どの電話も「後で届けます。すみません。」だったのは、ほんとうに救いだった。
「例年通り」はめんどくさくなくていいが、必ずしもベストとは限らない。

≪つづく≫


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このブログ「被災地の教育現場」シリーズは、
元 女川中学校教員である佐藤敏郎先生が、教育現場を見てきた先生として、
コラボ・スクール女川向学館のメンバーとして、被災地の教育現場の現状を
つづる連載です。
学校現場の視点、保護者の視点、地域の視点でコラボスクールの価値と
可能性についてつぶやきます。

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