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【被災地の教育現場 vol.11】 カタリバがやって来たⅡ

2015.9.01


学校はよく言えば安定しているが、逆になかなか変化できない。

20年ほど前から「開かれた学校づくり」が話題になってきたが、長年にわたって構築されてきた学校のシステムに、外部から地域や企業、NPOなどが融合するのは容易くない。ややもすると、システムを維持することに追われてしまう。イノベーションが起きにくい文化と言える。

カタリバが女川に来たのは23年5月、それから1ヶ月あまりの準備で向学館がスタートしたのだ。
突貫工事だ。緊急手術と言った方がいいか。
7月から、多くの小中学生が新しくできた学校以外の居場所に通うようになった。

もじゃ写真

23年度はシステム云々を言ってる場合ではなかった。カタリバがドアをノックしたとき、学校は「開く」しかなかった。
そのとき、女川の教育イノベーションが始まったのだ。めざすのは「例年通り」ではない。

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災害時に限らず、昨今の教員はなんだか忙しい。目の前のノルマしか見えなくなる。

私は教務主任だったので、一緒に校舎を使う第一小学校、第二中学校との調整等に奔走していて、まさに「それどころじゃない」状態だった。でも、向学館のことはちょくちょく耳にしていた。おもしろそうだと、関心があったこともあるが、向学館の広報活動のおかげだと思っている。

向学館の担当者は「ご注文ありませんか?」と勝手口に顔を出す町酒屋の御用聞きのごとく、しょっちゅう学校の職員室に足を運んだ。向学館のお知らせや学校の日程確認、あるいは、「近くに来たので」…。どんなささいなことでもメモをとっていた。以前、新聞社にいたそうだ。

ガレキだらけの見知らぬ土地で、今までになかったことをやるのだから、当然かもしれない。でも、子どものために何ができるか、何をすべきかを、とにかく希求し続ける向学館のスタンスが「去年と同じ」がスタンダードの学校文化と大きく違って、すごく新鮮だった。
町中を駆け回る彼女はその象徴に思えた。

≪つづく≫


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このブログ「被災地の教育現場」シリーズは、
元 女川中学校教員である佐藤敏郎先生が、教育現場を見てきた先生として、
コラボ・スクール女川向学館のメンバーとして、被災地の教育現場の現状を
つづる連載です。
学校現場の視点、保護者の視点、地域の視点でコラボスクールの価値と
可能性についてつぶやきます。

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