被災地に”子どもの居場所”が必要な理由
小学校低学年の児童たちは、バスが到着すると、学校が終わった解放感からか、多くの子が、走って校舎に駆け込んできます。
教室についてから、静かに本を読むような子は少なく、ランドセルを放り出してスタッフに走りながら抱き着いて来たり、とにかく動き続けます。
中には、叫ぶように歌を歌ったり、廊下を走ってしまうような子もいます。
日によっては、「何か特別ストレスがかかることがあったのだろうか」と思うほど、
度を越すうるささを感じるときがあります。
開校当時、小学校低学年のクラス運営がうまくいかない期間がありました。
授業前の興奮をうまく収めることができぬまま授業に入り、授業自体も落ち着きのないものになることが、度々起きました。
私たちは何とかして子どもたちの行動を抑えつけようと、禁止事項をたくさんつくり、バスから教室までの導線にスタッフを配置して指導するようになりました。
一定の成果は出ました。
ですが、また少し緩めれば元の状態に戻ってしまいます。
学校の先生、臨床心理士の先生など、多くの方に相談しました。様々な意見をいただきました。
その中で私たちは、至極当然のシンプルなことに気づきました。
「子どもがうるさくするには理由がある」
ただ、それだけでした。
学校での授業の様子、家庭でのコミュニケーション、土日の過ごし方・・・。
子どもたちが置かれている具体的な状況を一つひとつ整理し、スタッフ間で共有しました。
私たちは「授業が始まるまではとにかく発散させよう」と結論を出しました。
学校にはルールがたくさんあります。それは守らなければなりません。
学校が終わっても、以前のように道草しながら徒歩で帰るわけではなく、スクールバスに乗って帰ります。もちろん、バスの中も静かにしていなければなりません。
家に帰っても、仮設住宅で大きな声は出せません。
ふと息つく時間が、子どもには必要です。
「一緒に遊ぶ」と決めてからは、授業前の十数分はスタッフ総動員です。
おんぶして走って欲しい。抱っこして振り回してほしい。要求はバラエティに富んでいます。
カルタで遊ぶ子もいれば、タブレットの学習ゲームに熱心な子もいます。
思う存分、落書きをする子もいます。
そして、「発散」の後は、「集中」。
笑顔で授業に取り組む子が、一人また一人と増えていきました。
子どもたちとの対話も増えていきました。
先生に褒められて嬉しかった話、いたずらして怒られた話、大好きな妖怪ウォッチの話・・・。
心を通い合わせ、対話する中で、ある男の子がポツリと言いました。
「僕には、お父さんもお兄ちゃんもいないし、近くに遊ぶところもない。
おんぶしてくれるのは、先生だけだなー」
おんぶをしていたのは、入社1年目の若い男性スタッフでした。
他愛もない対話の一つから、”学び場”だけではない、コラボ・スクールの意義をわたしたちは考え直します。
もともと、ひとり親家庭の多かった町が震災の大被害に遭ったこと。
目に見えるハード面の復興だけでなく、目に見えない心の復興とは何なのか。
この町で向き合い続けていきます。