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被災地の教育現場シリーズ2「3.11を無駄にしない」~私を突き動かす想い~

2016.12.08

今回は女川町で長く教員として活躍されてきた佐藤敏郎先生から見た女川町の今をお伝えします。以前連載し、反響の大きかった「被災地の教育現場シリーズ」の第2弾として、今後定期的に更新していきますので、ご覧ください。


それはあくまで暦の上でのことなのだが、今年の3月は東日本大震災から5年ということで、ひと区切りみたいな空気があり、そういう番組や記事も多かった。女川も4年で駅ができ、5年目に商店街ができた。
現在の女川②
(現在の女川町の様子)


日本中がひと段落みたいな気分になっていた4月、熊本で地震が起きた。その他にも、大雪、台風、噴火…、毎月のように災害が起きるこの狭い島国では、もはや、「被災地」という言葉はある地域を特定したものではなくなっている。被災者、支援者の区別は、もっとなくしていい。

5年数ヶ月過ぎたが、3.11を無駄にしたくない、3.11からの日々を無駄にしたくないという想いが強くなった。「無駄にしない」って、よく口にする言葉だけど、じゃあ、それはどうすることなんだろう?いつも自分に問いかけている。

「3.11を無駄にしない」今の私を突き動かしている想いでもある。

熊本地震発生後、カタリバはすぐに熊本に飛んだ。現地をかけずり回り、対話を重ね、益城町にコラボ・スクール「ましき夢創塾」を立ち上げた。
熊本へは私も何度か同行したが、余震の不安が続く中、学校再開の準備を進める先生方を見て、胸が詰まった。5年前の自分と重なっていたのだと思う。

中学校 制服なしの 初登校

2011年、女川第一中学校(現在の女川中学校)の国語の授業で1年生の生徒が詠んだ句だ。彼らの入学式は体育館が使えず図書室で行われた。制服も、赤いじゅうたんもなかった。2・3年生は会場に入れず、廊下で校歌を歌って新入生を迎えたのだった。
2011年風景
(2011年の女川町の様子)


町がまだガレキに埋もれていた4月、大きな被害があったにも関わらず、女川の小中学校は、例年通りの日程で新学期が始まった。あの状態でそんなに早く学校を再開することについては、賛否両論があった。

懸念材料をあげればキリがない。前例のない日々の中では、どちらが正解か分からないということばかりだった。学校再開の時期をいつにするかもそうだ。
たしかに、いろいろと大変だったが、一つ言えることは、何もなくなった町に、丘の上から子どもたちの元気な声が聞こえたということ。

震災があってもなくても、学校とは、子どもとは、地域にとってそういう存在なのだ。子どもたちの元気な姿は、町のエネルギー源であり、未来だ。
現在の女川①
(現在の女川町の様子)


あの年に中学に入学した生徒は、高校3年生になった。彼らは学校帰り、よく向学館にやってくる。テスト勉強、あるいは、テスト勉強という名のもと、中学の友だちとダベりに来ている生徒もいる。向学館のスタッフと、進路の相談や女川の町づくりについて語り合うこともあるし、就職、進学先が決まった報告にやってくる生徒もいる。

来春から女川を離れる生徒も多い。

彼らの話を聞いてみよう。6年間、彼らが見てきた風景や、出会った人、気づいたことを聞いてみよう。どんな未来に向かおうとしているのか聞いてみよう。
それらは、今後のコラボ・スクールの方向性、そして、「3.11を無駄にしない」という私のテーマにもつながる気がしている。

次回から女川の高校3年生が登場します。どうぞお楽しみに。

 

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