被災地の教育現場シリーズ2~「向学館はいつでも帰って来れる私の大切な場所」~
お待たせしました。前回予告した通り、佐藤敏郎先生と女川の高校3年生の対談をご紹介します。
第1回目は、こちらの彼女です。
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彼女が生まれ育ったのは女川の小さな浜、尾浦。美しかった集落は津波で何もかも流された。それでも、中学時代の彼女を思い出すと、笑顔ばかりが浮かぶ。
「こんばんは。お久しぶりです!」夜の向学館に、元気よく入ってきた。
■相変わらず元気印だなぁ。高校生活はどうだった?
陸上部のマネージャーをしていました。ストップウオッチを手に「ファイト!」ってかわいらしく声がけするイメージだったのですが、ストップウオッチはいつも6,7個ぶら下げて、大変でした(笑) 補習で居残りさせられたことも今はいい思い出です。
いい仲間に囲まれて、すごく楽しかったです。もうすぐ卒業ですが、最後まで楽しみたいです。
景色は本当に綺麗で、今も目に浮かびます。その中で、友達と日が暮れるまで遊んでいました。釣りをしたり、そのまま海に飛び込んだり、浜仕事帰りのおんちゃんの軽トラックに乗せてもらったり…。
■6年生の3月に津波があって、4月に女川一中(現女川中)に入学。避難生活とか大変だったのでは?
う~ん、大変でしたけど、思い出すのは楽しかった記憶ばかりです。はじめはお寺が避難所で、入っている人はみんな知り合い。学校から帰ると、住職さんがご飯を作りながら「おかえり~」って。大きな家族みたいでした。避難所の隅っこで友達とコソコソ遊んでました。
登下校はバスでしたが、バスの中でいろんな話ができて楽しかったです。
■向学館には中学のときから通い始めたんだよね。
中学3年生の時からお世話になっています。勉強が苦手だったので、なんとかしなくちゃと。
向学館はレベルに合ったコースがあるのでありがたかったです。先生方は、学校の先生とはまた違って、親近感があり、話しやすかったですし、点数もだいぶ上がりました。
今の高校に合格するのは難しいかなと思っていたのですが、向学館のノブ先生が、いつも励ましてくれて、自信が持てるようになりました。今思うと、根拠はなかったのですが(笑)
(中学3年生の時の彼女)
■なるほど、女川中の先生との合同作戦だね。学校と向学館がそれぞれ持ち味を生かして生徒をサポートすることは、私もいつも意識していたところ。
ところで、進路はどうするのかな?
アメリカの大学に進学することになりました。
■そりゃまた、思い切った選択だね。周囲は心配しているのでは?
以前から漠然と考えてはいたのですが、具体的にどうしたらいいか分からず。進路希望調査では、いつも「その他」に○をつけていました。それで、ある日先生に呼び出された時に「外国の学校に行きたい」とはじめて告げました。当然、反対されました。先生にとっても想定外だったのだと思います。母もそうでした。
■元教師としてはよくわかる気がする。でも、先生もびっくりしただろうなぁ。「何を言い出すんだ、この子は」みたいな。
そうですよね。私は逆に、口に出したことで決意が固まった気がしたんですが…。
向学館の先生に言ったら、「そうか!やってみよっか」て、自然に受け止めてくれたんです。
それで、なんか自信がわいてきました。向学館の先生に協力してもらって、いろいろ調べたり、留学支援協議会に行ったりして、学校が決まりました。高校の先生も家族も今は納得して、応援してくれています。
■将来の夢は?
キャビンアテンダント(CA)です。
母が外国にルーツを持つので、幼いころから何度か飛行機に乗っていました。スペイン語も話せます。小学校低学年のときCAになりたいと思うようになり、その夢は今も続いています。
■向学館はどんな場所?
「帰ってくる場所」かな。今は女川に家がないので、「女川に来る=向学館に来る」なんです。いろんな報告や相談をしに来ていました。友達にも会えるし、気軽に立ち寄れるのがいいですね。
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今回は佐藤敏郎先生と高校3年生の女の子の対談をお伝えしました。
被災地の教育現場シリーズ2では、
4月から新たな一歩を踏み出す高校3年生のみなさんをこれからもお伝えしていく予定です。