あの日から10年~仮設住宅の前で勉強をしていた少年の今~
「被災地に子どもたちの居場所を作ろう」と2011年の7月に女川向学館は設立されました。
仮設住宅の前で勉強をしていた少年の姿は、コラボ・スクール女川向学館の原点です。
東日本大震災から10年。女川向学館の前にあった仮設住宅は撤去、小中一貫教育学校も完成するなどこの10年で町の復興は進みました。
今回は「仮設住宅の前の路上で寝そべって勉強していた少年」が語る震災と復興について紹介します。
▲仮設住宅の前で寝そべって勉強している少年▲
▲10年後、ほぼ同じ場所で撮った1枚▲
■久しぶりに、向学館に来てもらったけど、どうですか?
震災が起こるまでこの校舎は女川第一小学校だったのですが、僕はこの学校に通っていました。
僕にとってこの校舎は母校であると同時に向学館の校舎でもあるのでとても思い入れがあります。
今使っている教室はちょうど1年生の時に使っていました。
懐かしいですね。
■震災のときのことは覚えていますか?
震災があったのは小学2年生の終わりでした。
震災があったときは、ちょうど友達数人と下校しているときでした。
今までに体験したことがない大きな揺れだったのでとても怖かったです。
この校舎に避難してきたのですが、窓ガラスが落ちてきたりコンクリートにひびが入っていたのを今でも覚えています。
その後、家族が迎えに来てくれて、自宅に戻りました。
幸い、家は高台にあるので津波の被害はありませんでした。
家には姉と祖父母が居たのですが、両親はまだ戻っていませんでした。
連絡が取れない状態だったので安否も分かりません。
その日は電気がなく、親も帰ってこないまま過ごしたのでとても不安でした。
次の日、ふと外をみると両親が歩いて帰ってきました。
家族で泣きながら無事を喜び合いました。その時の嬉しかったと気持ち、ほっとした気持ちは、今でも鮮明に覚えています。
ライフラインは電気も水道も止まっている状態でした。
近くのお寺で水を汲んでストーブの上でお湯を沸かし、夜はキャンプ用のランタンで過ごす。そんな生活が続いていましたね。
■3月11日から約1か月後の4月からはどのように過ごしていましたか?
学校はすぐにはじまりました。
(例年通りの日程で新学期をはじめたエピソードについてはこちら「被災地の教育現場シリーズ2「3.11を無駄にしない」~私を突き動かす想い~」)
学校はこの校舎ではなく、女川第二小学校に移りました。
なぜ、女川第一小学校の校舎に通わず、女川第二小学校に移ることになったのか。
今だからこそ、避難所として使用されていたり、仮設住宅が建設されるからだと分かります。
当時は幼かったので、校舎が無事なのに学校を移らなくてはいけないのがどうしてなのか分かりませんでした。
親しみがある校舎と別れ、さらに突然転校した友達もいて最初はとても寂しかったです。
幼いながらも「遊べる状況ではないな」となんとなく思っていたので友達と一緒に遊ぶ機会は減りましたね。
遊ぶときは避難所として使われていたこの校舎に来て、みんなで毛布にくるまって遊んだりしていました。
だからこの校舎は僕にとって学び場でもあり遊び場でもあるんです。
■被災した町をみたときはどう感じましたか?
ある日、父と一緒に町の高台にある町立病院へ行きました。
「自分の知っている女川ではない」と思いました。
瓦礫の山や行きつけのスーパーの変わり果てた姿をみてそう感じました。
スーパーの前には水槽があって、その魚をみるのが好きだったのですが、その水槽も当然無くなってしまいました。
町の至る所に小さな楽しい場所がたくさんあったのですが、そういう場所が無くなってしまったと気が付いたとき、はじめて震災を理解したのだと思います。
▲町立病院からみた女川(2011年8月29日撮影)▲
■「元の生活に戻った」と感じたのはいつですか?
震災から1年後、小学校4年生のとき、近くに「きぼうのかね商店街」という仮設の商店街が完成しました。
この商店街は僕たち子どもの遊び場になりました。
駄菓子を買ったり、串焼きを焼いてもらっている時間で鬼ごっこをしたり。
商店街ができて、またみんなで遊べるようになったとき「元の生活に戻ったな」と感じました。
▲向学館で高校受験の勉強に励む様子▲
■向学館はどんな場所でしたか?
自分は中学3年生から向学館に通いました。
3年生になり「流石にそろそろ勉強しなきゃな」と思いました。
授業や行事で向学館の先生が中学校に来ることが多かったのと、友達もたくさん通っていたので、向学館の存在は通う前から知っていました。数学が苦手だったのですが、先生が丁寧に1から教えてくれて、分かるまで丁寧に教えてくれたことで、いつの間にか数学が得意科目になっていました。
勉強できる場所がほしくて高校生になってからも、自習室に通っていました。
家では静かになれる場所が無かったので、1人で集中できる自習室の存在はありがたかったです。
▲高校合格時に向学館で撮影した1枚▲
■今後の進路を教えてください
地元に就職が決まりました。
内定が出たときはとても嬉しかったです。
4月からはお金を扱う仕事をします。
商業高校に進学したのですが、簿記が楽しかったのでお金に関わる仕事をしたいと思っていました。
まだ社会に出たことがないので「なにをやるんだろうな?」と具体的な業務内容はわかりませんが、やるべきことをしっかりやりたいと思っています。
■仮設住宅の前で寝そべって勉強していたあの日に自分に声をかけるとしたら?
自分を信じて、やるべきことを続けていれば必ず結果がついてくる。ということを伝えたいと思います。
▲向学館の卒業式では自分へのメッセージとして「勝力(かつりょく)」という言葉を書きました▲
震災当時、小学2年生だった少年は高校3年生となり次の道へと進もうとしています。
あの日、路上で勉強している少年と出会わなければ、もしかしたら女川向学館は設立されていなかったからかもしれません。
震災は多くのものを奪いましたが、子どもたちの学ぶ意欲は奪いませんでした。
震災で学び場と居場所を失った子どもたちに「震災があったから夢を諦めた」ということが絶対に起こらないようにというコンセプトではじまった女川向学館。
これからもこの町で、女川の子どもたちの放課後の居場所を作り続けていきたいと思います。