震災から6年〜どうつなぐか「3.11」
3月11日。
それは、他の364日とは違う、
町の空気にいつもより重さを感じる一日であり、
この日の意味を問い続ける一日でもあります。
* * *
3月9日、一昨日は県立高校の受験日でした。
臨学舎に通うほとんどの生徒がその日に臨みました。
「不安で不安でしょうがない」と言っていた心配性の女の子はもちろん、
前日まで「絶対緊張しないから大丈夫」と言っていたやんちゃなあの子も、
当日は受験生の緊張感に身を包みながら、覚悟を持った表情で受験に挑みました。
高校前に集まった生徒たちは、激励に来たスタッフにあいさつをしてくれました。
とにかく、がんばれ・・・!
私たちもまた、祈るような気持ちで子どもたちの姿を見送りました。
そんな、彼らの人生の中で初めてとも言える「勝負の日」とはまた違った雰囲気をまとって、「3月11日」という日はやってきます。
* * *
あの震災から、とうとう6年が経ちました。
特にこの1年は、大槌町にとって大きな変化が様々起こった年でもありました。
7月には、町内の中心を走る道路の開通。
9月には、大槌学園校舎の完成。
最近では、中心部のかさ上げ工事に目処が立ち、建ち始めるお店や家々もちらほら。
多くの町民が生活を続ける仮設住宅団地は、まもなく集約に向かおうとしています。
一方で、かさ上げの目処が全く立たない地域や、空き家のままの復興住宅、
旧役場庁舎の保存をどうするのかで対立する町民の意見、
震災以降止まらない人口減少や高齢化など、
大槌町をめぐる問題は、深刻さを増しています。
しかし、「課題の多い地域でこそ、人は育つ」。
私たちがその思いで続ける活動の一つに「マイプロジェクト」があります。
今年はそのマイプロジェクトの先駆者である、吉田優作くんのプロジェクトが節目を迎える年でもあるのです。
* * *
何もかも失った町のために、自分は何ができるだろうか。
震災から間もない町の中で、そんな思いをもった高校生たちがいました。
その一人、吉田優作くんが行き着いた答えは「津波の危険を知らせる木碑を建てること」・・・
吉田くんの生まれ育った小枕地区は100世帯ほどあった家が2世帯しか残らなかったほど、大槌町の中でも被害の大きい地区でした。
そしてまた犠牲になった方も多くいらっしゃいました。
あの日、津波が来るまでには40分程の時間がありました。
「もっと津波の危険を知って、はやく逃げていれば助かったのではないか」
「もう二度と津波で亡くなる人なんていてほしくない・・・」
吉田くんは、建てる碑をあえて「木」碑とし、定期的に建て替えをすることで、震災を風化させないという思いを込めることにしました。
町の人を巻き込み、資金を集め、材料を集め、様々な人の協力を得て、吉田くんは思いを実現しました。
そうして完成した木碑は、この町の4年間を、坂の上から見守り続けてきたのです。
吉田くんは今年二十歳となり、成人を迎えました。
消防士を目指して関東の大学で防災の勉強に励む、2年生です。
そしてあの木碑は、建立から4年を迎え、初めての建て替えの日を迎えることとなったのです。
* * *
大槌町になかなか戻ってくることができない吉田くん。
今回の木碑を建てることに向けては大変な苦労をしていました。
復興工事の遅れで当初依頼しようと思っていた会社から厳しいと言われてしまったり、
町の石材屋、つつみ石材店に無理くりお願いしてなんとか間に合わせてもらったり。
震災から6年がたち、だんだんと薄れていく自分と住民の危機意識。
彼自身もとても悩んでいたようでした。
しかし、次第に思いは固まっていきました。
「何かを建てることそれ自体に意味があるのではなく、
みんなで集まって後世に伝えたい言葉を考えることを通して防災意識を高めることに意味がある。
今の状況こそが、スタートなのではないか」
そう考えた吉田くんは、今回も地域住民を集め、木碑に入れる言葉を一から考え直しました。
木碑に刻む言葉をグループごとに一つずつ、計3つ考えました。
ある班の言葉は、「絆 声かけあい、思いやりをも 後世に」。
地域住民同士の声のかけあいで防災につなげることはもちろんのこと、
震災後たくさんの思いやりで地域住民そして外の人とつながってきた。
そんな想いを伝えたいという思いからです。
「あたりまえのことに感謝する」
「誰かの命を助けたいなら代わりのない自分から」
あの日と、あの日からの思いを振り返りながら、一つ一つ紡がれた3つの言葉。
吉田くんは、すべての言葉を木碑に刻むことを決めました。
* * *
ちょうど1週間前のこと。
石材店に彫っていただいた文字に墨入れの作業を行いました。
集まった地域の方々で、新しい木碑を囲みます。
3月11日が近づき様々な思いも募る中で、
参加者たちは一字一字丁寧に、墨を入れていきました。
* * *
そして迎えた今日。
木碑の建て替えには、地域住民の方に混じって多くの高校生の姿もありました。
吉田くんの呼びかけにより、集まった高校生たちです。
あっという間の6年を振り返りながら、吉田くんは「4年前の思いが少しずつ薄れていっていることは自分でも感じる」と語りかけました。
それでも「津波によって命を落とす人がいなくなってほしいという強い思いは、原点として、今もずっとある」。
「できれば、僕以外の後輩たちにこの活動を続けていってほしい」
挨拶の最後に、吉田くんはそう訴えました。
その思いに、高校生の後輩が応えます。
「その思いを継いで行きたい。後世につなげる橋渡しになりたい」
そう語る黒澤さんは、自身もマイプロジェクトに取り組む高校生の一人です。
* * *
時間の経過とともに進む震災の風化。
あの時の思いを、どう後世に伝えていくのか・・・
悩み、立ち止まりながらも、吉田くんは歩みを進めています。
そんな吉田くんの姿に刺激を受けて、新たに活動を始めた後輩の高校生たち。
そして、それを応援してくださる地域の方々。
想いをもった人が「今」の人を動かし、「後世」の人にも影響を与える。
復興の原動力はここにこそあると、私たちは信じています。