7年目の大槌、変わりゆく町の子どもたち
3月に入り、岩手県大槌町でも冬の寒さが少し和らいできました。
被災地の放課後学校コラボ・スクールでは、高校受験を控えた9年生(中学3年生)が最後の追い込みを迎えています。
入試が近づくこの季節、町の人々が思い巡らすのは、あの日の記憶。
これまでに何度か紹介した木碑が立つ安渡(あんど)地区では、先日防災訓練が行われました。
「震災から7年が経ち、当時赤ちゃんだった男の子も小学生になった」
訓練を終えた後、地区会長が当時を振り返ります。
2018年春。町の様子は大きく変わりつつあります。
こちらは、町を見下ろす城山公園頂上からの写真。町の中心部は区画整備を終え、かつての商店街に軒を連ねた店々が新店舗を再開し始めました。
写真中には、建設中の複合施設(中央)や、線路(右奥)も見えます。仮設住宅から新居に引っ越ししたという子どもからの報告もちらほら聞かれるようになりました。
しかし、大槌臨学舎に通う子どもたちの仮設住宅入居率は未だに20%弱に上ります(2018年2月現在)。
町には公園と呼べるような場所は未だにわずかで、子どもたちが外で遊ぶ姿をあまり見かけることはありません。
3月11日が近づくこの時期、受験生の中には、入試と震災の二つが相まって、精神的に不安定になる生徒もいます。
震災後、子どもたちを巡る環境の変化は凄まじいものでした。
町にあるほとんどの学校が被災。再開してすぐは、体育館や無事だった学校の教室を間借りして授業が行われました。その後、5年以上続いた仮設校舎での学校生活。大槌学園の本設の校舎が完成したのは、一昨年9月のことです。
今、コラボスクールに通っている小・中学生は、自身の震災体験がほとんど記憶にないという子も多くいます。しかしながら、長引く震災の影響を「学校」という場所で最も大きく受けてきた世代なのです。
* * *
そんな混乱の中で、大槌町の教育は転換期を迎えました。
小中一貫校のスタートもさることながら、放課後の教育を支える地域の団体やNPO団体が、複数存在するようになったのです。
「教育を学校だけのものにしない。子どもたちを地域で育む」という教育の形は、少しずつその幅を広げてきています。
例えば、私たちが取り組む「吉里(きり)っ子スクール」もその一つ。
大槌町吉里吉里地区の小学生に向けた放課後スクールで、ほぼ毎日、吉里吉里小学校の図書室や和室をお借りして、宿題や検定に取り組んでいます。
運営を始めた当初のスタッフはたったの二人でしたが、現在は多くの地域の皆さんが運営に加わってくださっています。
非常に心強いのは、地域の方ならではの細かな目線。いつも自分たちを見てくれている地域の先生方に、子どもたちも愛着を持っている様子。
多い時では、1日40名近くの子どもたちを受け入れる吉里っ子スクール。地域の方々の存在は、もはや欠かせないものになっています。
一方、以前ご紹介したこちらの教育センターでは現在、自習室を開放中。同じく教育センターで活動している地域団体の方々は、子どもたちのよき応援者となってくださっています。
子どもたちの中には、小学校時代に団体を利用していた生徒もおり、職員の方とも顔なじみです。
先日は、受験を迎える9年生たち一人一人に折り鶴を贈ってくださいました。折り鶴に書かれたメッセージも、団体を利用する子どもたちのお手製です。
そんな地域の団体やNPO、そして学校の先生方が一堂に集まり、大槌の教育を話し合う場もできました。
「大槌の子どもたちに今必要な力は何か」
「それぞれの役割は何か」
「そのために協働できることは何か」…
毎回テーマを変えながら、膝を交えて意見交換をしています。最近では、電話口でお互いに相談したり、定期的に連絡シートを交換するなど、日常的な協働の機会も増えてきました。
意見は異なれど、向かう方向は同じ。それがこの会のコンセプトです。
子どもたちが成長できることを。その思いは、どの人も同じです。
* * *
「震災前の思い出も、いいものだった」
先の安渡地区の自治会長はこう振り返り、最後にこう締めくくりました。
「しかし、震災後の絆も大切にしていきたい。」
震災で失った多くのもの。それと同時に、大槌という町が得たものも確かにある。
そんな実感を抱きながら、7年目の3月11日を迎えます。