新スタッフに聞いた~大槌町の今昔~
▶ 大槌町出身の福士先生
今年度から大槌臨学舎に、週1日(金曜日)に来てくださっている福士先生。毎週、盛岡から2時間ほど車を運転して通ってくださっています。
実は、福士先生は大槌町生まれ。生まれてから3歳まで、また、中学2年生から高校卒業までを大槌町で過ごしました。
その後、高校の先生として、岩手県内の高校で働いていましたが、当時は、内陸の高校ばかりで、三陸沿岸の高校に赴任することはなかったとのこと。
そんな福士先生から見た今の大槌町、子どもたちについてお聞きしました。
(岩手県独特のいい方かもしれませんが、三陸沿岸の市町村を「沿岸」、盛岡や花巻、北上などの市町村地域を「内陸」と呼びます。)
— 福士先生が臨学舎に加わることになったきっかけをおしえてください。
東日本大震災が起きた当時は岩手県教育委員会事務局で勤務していました。そのとき復興にあたって被災地に直接支援することができず、ずっとそのことが心にひっかかっていて、いつかチャンスがあれば沿岸に行きたいと思っていました。
震災後は、通常業務はストップし、避難所から通学している高校生に対して、昼食弁当の手配や通学手段の確保などを担当していました。
(支援の実例としては次のようなことがあったそうです。陸前高田市にあった高田高校は校舎が全壊し、その後4年間、隣の大船渡市にある大船渡東高校の校舎を仮校舎としていました。このように通学経路がまったく変わってしまった生徒たちに対して通学バスの運行などの支援していたそうです。)
やっぱり出身の大槌町でなにかできないか、との思いがずっとありました。それで退職をきっかけに、大槌臨学舎に自分から連絡をしました。
— 先生が子どものころと比較して、子どもたちの様子に違うところなどありますか?
昔は、気性が激しい子が多かったように思います。喧嘩っ早かったですね。沿岸特有だと思います。ただ気は短いけど、心は優しい子どもたちでした。
今は、礼儀正しくて、挨拶がしっかりできていますね。道で会うと、知っている人はもちろん、知らない人にでもちゃんと挨拶する子どもたちばかりですよね。
— 臨学舎の子どもたちに対してはどう思いますか?
コラボに通っている子どもたちはみんな素直で明るいですね。時代が変わり、子どもたちの性格も変わってきました。特に震災を経て、大きく変わったのではと思います。
(どんなふうに変わったのでしょうか?)
やっぱり自分たちがしっかりしなくては、という思いが強いように思います。
(内陸ではどのように震災を感じていましたか?)
沿岸の方たちは、命からがら避難した、という印象です。大変な思いをして自分の命を守った経験が大きかったのではと思います。それは大人も子どもも。
だからこそ、子どもたちもしっかりしなくてはと思ったんだと思います。
— 子どもたちから受けたチャレンジはありますか?
一生懸命学習に取り組んでいる姿を見て、私も英会話を負けずにがんばろうと思い、skype授業に自宅から参加させてもらっています。毎回、冷や汗ものです。少しは話せるようになったかな、という程度。
外国人の先生の話を聞くのは難しくて、文字で見ればなんとなくわかるけど、会話の音声だけだと、なにを聞かれているのかわからずとまどってしまい、単語の羅列でしか答えられません。
一方、子どもたちはチャレンジ精神が旺盛で、全然臆していない様子で、どんどん答えています。
— これからの意気込みを聞かせてください。
大槌の子どもたちが健やかに成長できるようお手伝いできればと思っています。
— インタビューを終えて
今の大槌を見て、感じていることを聞いたときに出てきた言葉が印象的でした。
「津波で町が流されて、こんなに海って近かったんだ、と気付かされました。」
ここに住んでいたとき(中学高校生のとき)は、防潮堤で隔てられていて、まったく気づかなかったとのことです。
近くて遠かった海。
今の子どもたちにとって、海は近いのでしょうか。遠いのでしょうか。